御船町への情熱が止まらない「火の国不動産」が、勝手に御船町の魅力や、住民の声を発信するコーナーです。

町名の由来と沿革

「御船(みふね)」の由来は、景行天皇が九州を平定するためにご巡幸なさった折、その「御船(おんふね)」が着岸したことによると伝えられます。

南北朝のころには、阿蘇家の一族、御船河内守盛安(みふねかわちのかみもりやす)が領有、ついで戦国時代には御船阿波守行房(みふねあわのかみゆきふさ)が支配しましたが、行房は阿蘇家の智将、甲斐宗運(かいそううん)に討たれます。その功により、宗運は御船千町を阿蘇家から与えられ、この地を支配しました。

天正15年(1587)、豊臣秀吉によって肥後の国は2分され、御船は小西行長(こにしゆきなが)が治めることになりました。

関が原の戦いで行長が滅ぼされると、その支配は加藤清正(かとうきよまさ)に移り、さらには細川忠利(ほそかわただとし)の手に移ります。

忠利が入国すると、政治の組織・制度に大変革行われました。なかでも注目すべきは、地方政治の根幹をなした手永制度です。手永制度とは、郡と村の中間に当たる行政区画で、惣庄屋が20~30ヶ村を一括支配するというものでした。現御船町の大部分は、はじめ西木倉、のちに辺田見(へたみ)に設けられた木倉手永会所総庄屋(きくらてながかいしょそうしょうや)の支配を受けました。豊秋列村は鯰手永に属していました。

明治12年、新三法の実施とともに、御船町・滝川(たきがわ)・木倉(きのくら)・滝水(たきみず)・上野(うえの)・豊秋(とよあき)の1町5列村となります。

昭和28年9月、町村合併促進法が施行されると、御船町を中心に合併の気運が高まり、昭和30年に旧鯰郷の一部であった豊秋、小坂、陣の豊秋列村、旧木倉郷の七滝、滝水、木倉、高木の六ヶ村を合併、昭和37年には、矢部町(現山都町)中島の一部であった松ノ生(まつのはえ)を編入して、今日の御船町が誕生しました。

御船町スポット紹介

御船町役場

御船町役場は、火の国不動産から徒歩圏内にあります。もちろん御船町役場は、御船町の行政の中心です。

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御船町恐竜博物館

余り知られてませんが、御船町は白亜紀後期の恐竜化石の産出量日本一を誇ります。 世界的な学術価値をもつ「御船層群と恐竜化石」を探究し、後世に継承していく場として、「御船町恐竜博...

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御船町なかギャラリー

御船町の石畳の本町通りに「御船町なかギャラリー」は、かつての造り酒屋の面影を残す建造物です。 母屋部分が1802年建築の大型町家で先哲・林田能寛の生家ともいわれてます。 ...

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石畳の道

御船町の本町通りは「石畳の道」があります。 御船町の本町通りはかつて、多くの造り酒屋があり当時の御船町の経済の中心地であったことがよくわかります。 この通りの雰囲気をよ...

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御船町カルチャーセンター

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御船町カルチャーセンターは火の国不動産から徒歩圏内にあります。 施設としては、ステージ・ホール・和室楽屋・洋室楽屋・大会議室・茶室・コンピューター研修室があります。 御...

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辺田見若宮神社

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御船町スポーツセンター

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御船町スポーツセンターは、御船町スポーツセンター等管理運営共同企業体が管理運営しています。 「だれもが、いつでも、どこでも、いつまでも、気軽に様々なニーズに合わせたスポーツを...

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平成音楽大学

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平成音楽大学は、「九州から音楽文化を発信する」ことを目的として開学した熊本音楽短期大学29年目を迎えた平成13年(2001年)、多くの要望から4年制大学へ発展しました。その結果、九...

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御船のグルメスポット

御船町のグルメを食べつくせ!火の国不動産は御船町の食を応援しています!旅行やお仕事で御船町にお立ち寄りの際は是非、お食事も楽しんでください。イチニコ食堂...

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